2013年5月31日金曜日

ラオス二日目

5月23日。
ホテルで朝食。
でもほとんど何も残っていなくて、食パンとソーセージ。
あまりの何もなさにホテルのスタッフが途中でカイジャオ(たまご焼き)を持ってきてくれた。できたてふわふわで美味しかった。
コーヒーはなぜかベトナム産のインスタントコーヒー。

一日目に街を散歩して、トゥクトゥクをチャーターする必要はないくらい小さな街だとわかった。タイよりも涼しいし、歩いて観光。
フランスの植民地だった影響がところどころ建物にも残っていて、
洋式の家がいくつかあったり、大統領のいるパレスは灰色で統一されて美しかった。

「ワット・シーサケット」へ。
お寺の色もタイより落ち着いている。
仏像は耳が長い、体の一部(へそや足の裏)に紋様がある、顔も違うなど特徴が違う。DBは考古学も勉強していたので説明してくれた。タイのスコータイ様式とも似ているらしい。建物の細工が美しいと興奮していた。
壁に小さい仏像がいっぱい祀られてあるのがかわいかった。

エメラルドブッダがあったとされる「ホープラケオ」へ。
戦争でタイが持ち去り、今はタイの「ワット・プラケオ」にある。
建物はお寺だけど今は博物館になっている。
雨が降ってきて、入口のお土産売り場を見ながら雨宿り。
シュールな絵柄の切手を買う。
12時で博物館が休憩になってしまい、仕方なくお昼ごはんにしようと思ったら雨がさらにひどくなって動けず。警備員の駐在所で雨やどりさせてもらう。
DBはスケッチ、私も写真を撮ったりクロッキーをしながらゆっくり雨やどり。
13時になって博物館へもどる。
博物館という程あまり物がない。小さいエメラルドブッダがあった。

大使館へ行って無事ビザをもらう。
あとは出国するときにちゃんとスタンプとサインをもらえば完了。
これがたまに間違ったりされることもあるのでちゃんと確認しなくてはならない。
お昼ごはん。「カオピア」という鶏だしの米麺。
うどんに近い感じ。スープもちょっともったりして濃厚。
まわりのラオスの人のスープが赤い。
ラー油みたいな調味料を入れていて、まねして入れたら
ちょっとの量でかなり激辛。同じ色になるくらい入れてたら食べられないと思う。
タイよりも器が大きくておなかいっぱい。

時間ギリギリでバスターミナルへ。
バスが今日はもうキャンセルになった。速いし快適なバンがあるよ、と客引きの兄ちゃんに言われ、うさんくさいと思いながら乗り合いバンでヴァンヴィエンへ。
明日から三連休だから出稼ぎから実家に帰る人と一緒。
一緒になった、たぶん軍人のおじさんが黒ごま豆乳をくれて、気さくに話しかけてくれた。
ラオスの車は左運転、右走行。
確かにむっちゃ速い。カーブでもスピード落とさずにガンガン進む。
道路沿いもほぼなにもない。
たまに小さな村と牛を見かけるけど本当に自然ばっかりで、
日も暮れてきたしこの先泊まれるところがあるのかちょっと不安になる。
でも夕暮れきれい。
3時間くらいで到着。
観光客がいっぱいで、ヴィエンチャンより華やか。
ゲストハウスや屋台、カフェもたくさんあって、
小さくておとなしめのカオサンロードという感じ。
欧米人、韓国人、タイ人が多くてどこの国かわからなくなる。
宿をとって、晩ごはん。
フランス領だったから美味しいという話を聞いていて、ずっと食べたかったバケットのサンドウィッチ。ヴィエンチャンで食べそこねてヴァンヴィエンにあるのか不安になっていた。
むしろヴィエンチャンよりも見かける。
まるまる1本のバケットに豪快にナイフが刺されてでてきた。



2013年5月30日木曜日

ラオス一日目

ラオス日記。5月22日。
2日目の途中まではカメラのバッテリーが生きていたので写真が少し残っている。
カメラのバッテリーを忘れたのも不運。
というか最近頭が悪い。よく考えないで行動している。
円安だからバーツを持って行った方が良いと勝手に思い込んでいて、
ラオスへバーツしか持っていかなかった。円安だけどそれでも円は強かった。。
バカなことをした後には賢くなる、とDBになぐさめられる。

朝6時半にノンカーイに到着。
バスのドアが開くと同時にヴィエンチャン行きのバスやバンの客引きが押し寄せてくる。「ピー(姉さん)、ピー、ヴィエンチャン、ヴィエンチャン」
公式?のバスのチケットを買って、朝ごはん。
ラオスからの影響があるのか、西洋式の朝ごはんのお店が。
目玉焼きとコーヒーを注文。
アルミの鍋に2個分の目玉焼きとベーコンとコショウが散らしてある。
チリソースやナンプラーをかけて食べる。
コーヒーがうすめ、甘めでおいしかった。カップもかわいい。

メコン川が国境になっていて、川を越えたらラオス。
フレンドシップブリッジという橋を渡る。
陸、川、陸。川をはさんで二つの国が見える景色は日本にはないから不思議な感覚。
メコン川は広い。広いけどあっという間に到着。
バスから見える風景、家や文字の雰囲気がタイと似ているので、
まだ国を越えた感じがしない。
バスが首都ヴィエンチャンに到着してドアが開くとノンカーイと同じ。客引き。
ノンカーイと違うのは英語、韓国語、日本語のとりあえず知っている単語で呼びかけてくること。「カワサキ」とはっきり声をかけられたのに笑った。
タイ人よりニコニコした気さくなラオスのお兄ちゃんが声をかけてきた。
「大使館5km、トゥクトゥク、100バーツ」
うーんやっぱり値段が高い。
でも暑いし荷物多いし早く大使館に行きたかったので、
ラオスのトゥクトゥク「スカイラップ」に乗ることに。
ラオスではタイ語が通じるのでDBと運転手のお兄ちゃんが「ラオス語わかる?読める?」などと喋っていた。

大使館に着いて書類を書いて順番待ち。人が多い。
一人の日本人男性が話しかけてきた。
就労ビザを取りにきたが書類を一つ忘れて困っていた。
語学学校でも書類をマンションに忘れてもう一度ラオスへ行くことになった人がいた。結構忘れるもんなんやな。確かにややこしいし、自分も気をつけようと思った。
2時間くらいして手続きが終わって、お昼ごはん。
野菜と米がおいしい。
都会から田舎に来て、おいしいごはんを食べたときの感覚。
ヴィエンチャン首都やけど。

宿探し。目星はつけていたものの、
道に迷ってトゥクトゥクに宿がたくさんあるエリアに連れていってもらう。
明日一日トゥクトゥクチャーターしないかと言われる。
1,000バーツ。半日で500バーツ。高い。
とりあえず連絡先だけ教えてもらって保留。
宿に着いてチェックイン。
ここのエレベーター、すごく狭くて横並びで3人が限界なのに
積載可能人数が8人と書いてあった。
ドアに隙間があって下の階も見える。
シャワーを浴びて散歩へ。

パリの凱旋門を模してつくられた「パトゥーサイ」へ。
ラオスはフランスの植民地になっていたので建物や食べ物、文化に影響している。
今のラオス人民共和国は1975年にできたばっかり。
パトゥーサイは上に登って、市内を一望することができる。
上から見た景色はアジアっぽくない。
パトゥーサイからの通りはシャンゼリゼ通りを意識して作ったそう。
タイに比べるとごちゃごちゃしてなくて街の色が落ち着いている。
途中の階でお土産屋さんがあったけどあんまり魅力的なものは売ってなかった。

メコン川の川岸まで歩く。
川岸の歩道はすごく整備されている。
公園も近くにあってエアロビをしている人と物乞いをしている子ども達がいた。
都市開発予定の土地があった。
でも工事をしている様子もないし、2012年と書いてあった。
ポスターが貼られ、理想のイメージが描かれていた。
ショッピングセンターにホテル、高層ビル。
メコン川とこの国に不似合いな計画。
ない方がいいと思う。どこにでもあるようなもの作らなくてももっと他に良いものがここにはいっぱいある。
王様の像が夕日と一緒になって美しかった。


お腹がすいたけどタイみたいに10歩あるいたら屋台に出会うというわけでもない。
雨も降ってきた。
散歩のはじめの方で見つけたラオス料理のお店まで急いで行く。
ソムタムと空心菜炒めと焼きあひるともち米。
鶏がなくてあひる。
弾力があってむちゃくちゃ美味しかった。
他の料理も美味しい。
タイより味付けが濃くなくて美味しい。
ビアラオも飲んで大満腹。
部屋に帰って即寝。

2013年5月28日火曜日

昇華

今日の授業で
「昨日あなたはどこへ行きましたか?」
「わたしは警察署へ行きました」という会話をして
みんな私がすられたことを知っていたのでみんな笑った。
笑いに昇華できたような気がした。

休んでいた間のノートをクラスメートのYKさんに見せてもらったとき、
自分のノートなんて汚いんだ、と思った。
YKさんが模範生のノートで、書きまとめるのが上手くて
語学が好きな人のノートだった。
YKさんを見習って復習がてら書き直すことにした。
ノートが足りないので学校が終わって「B2S」に行く。
本とCDと文房具が売っている日本でもあるような大きい書店。
デパートやショッピングモールにだいたい店舗がある。
種類はすごく多いのにシンプルで使いやすそうなノートが意外とない。
やたら絵柄が多かったり、紙に色がついてたり、枚数の割に高かったり。
韓国や中国から輸入されたものも多い。
日本のもあるけどもちろん高い。
日本の文房具ってデザインされてるなあと実感。
結局選んだノートはこれ。


薄っぺらいけどタームごとに分けられる。
カラフルやけどシンプル。
Strawberry jam,Greentea latteと色ごとにノートの名前がついていてかわいい。
29バーツで値段も安め。
ペンも買う。
Bicやステッドラーはデザインがかっこ良くて使いやすい。
今の私にはちょっと高いので試しにステッドラーもどきを買ってみる。
文房具を見るのは楽しい。
新しい文房具で気持ちを切りかえる。

2013年5月27日月曜日

スリ

タイに来てちょうど三ヶ月。
無事に留学ビザを取れて、ラオスから帰ってきた。
帰りも夜行バスで、家に着いたのは朝5時。
陸続きでタイ語も通じる国だからなのか、
すでに外国にいて、また外国に移動するからなのか、
ラオスに行くのが「外国に行く」という感じが全然しなくて、携帯電話、インターネットが使えないということも忘れていた。
ラオスのことはタイに帰ってきてからゆっくり書こう。
と思っていた矢先、iphoneをすられた。

家に着いて、シャワーを浴びたり身支度してそのまま学校に行ったので
疲れていて注意力が欠けていた。
今日は特に混んでいて、大荷物を抱えた欧米人のバックパッカーが5人くらい乗っていた。
私が乗ったバス停の次のバス停で降りる雰囲気だったので
ファラン(欧米人)が降りたら座れる、ファランが降りたら座れる、
これに気をとられていた。
おっさんの手がポケットに当たったことに違和感を感じていたのに
座席に座ってiphoneをチェックしようと思う時まで気がつかなかった。
おっさんはファランと一緒に降りたのでもう手遅れ。
今頃カオサンロードかどこかで売られているんだろう。
高価なものをなくしたというよりも、
ここ2ヶ月の写真がなくなったというのが悲しい。
特にラオスは美しいものやかわいいものがいっぱいで、たくさん写真を撮った。
気になる音も録音した。
思い出は心の中にあるさ、みたいなポジティブなことを考えるが
悲しいもんは悲しい。悔しい。
三ヶ月たって気がゆるんでいた自分も悪い。
もう本当に気をつける。

学校が終わってDBに付き添ってもらって警察署に行く。
iphoneは見つかる可能性がほぼないよ、といって帰されそうになる。
海外保険で保障されるかもしれないので盗難届けが欲しかったので
なんとか書いてくれと頼む。
全然ヒマそうなのに。一人の若い警官なんてちょっと話聞いてどっか行った。
これがタイの警察スタイル、というDB。
 
帰ってDBの家族に「タイで働いて稼いでまた買えばいいじゃん」
「ファイトーファイトー」と勇気づけられたり、
語学学校でもスタッフや先生が親身になって話を聞いてくれた。
タイの良いところと悪いところをひしひしと感じた日。




2013年5月22日水曜日

ラオスへ

観光ビザを留学ビザに切り替える為に21日の20時半発のバスに乗ってラオスへ行く。
今週末は三連休で学校も休みやし、せっかくなのでDBと一緒に旅行もする。

午前中は学校に行って、帰ってきてパッキングとシャワーを浴びる。
夕方、BACC(美術館)でDBが仕事の打ち合わせがギリギリまであるので晩ごはんもここですます。隣の店が日本食のメニューがあるカフェで、焼うどんを食べる。
具が鶏肉とヤングコーン。意外と日本の味に近くて美味しかった。


BTSでMochitまで行き、バイクタクシーに乗る。こっち乗って乗って!と客の取り合い。料金をふっかけられるもDBが素早く交渉。これぐらいの交渉術を得たい。
雨がちらつく中、逆走行、車道横断、車とバスの間ギリギリ走行と結構な運転。
久しぶりに恐い思いをする。

バス乗り場に到着。
周りのバスは青と白のバスが多いのに、私たちの乗るバスは真っピンク。
ブランケット、カーテンもピンク。タイの長距離バスのカーテンはファンシー。
出発するまではタイの演歌みたいなのが爆音で流れていた。
お腹もまだ調子悪いけど、カーボンに頼るしかない。
カーボンを買い足して、とりあえずラオスとタイの国境近く、タイの東北部にあるNongkhaiへ向けて出発!




2013年5月21日火曜日

スーパー

学校の後、スーパー「Big C」へ。
いろんな人から話を聞いて気になってたけど、近くにあるがTesco Lotusというスーパーばかり行っていて今回初めて。ラオス旅行に必要な物や日用品を買いに行く。
「Big C」はイスから野菜まで何でも売っていて、しかも安い。
学校の近くにある「Big C」はほんとに大きくてSuperスーパー。
スーパー好きなので入り浸ってしまい、気付いたら2時間くらいたってしまっていた。お腹も腹ペコ。
ラオス用におやつも買いたかったけど無駄使いはやめようと我慢。

帰る頃は帰宅ラッシュで、街の中心にあるデパート前ともあって、バス停がすごいことになっていた。
前にも書いたけど、バスがあちこちにとまるから、バス停関係なしに30mくらいに渡って人が待っている。道路にもはみ出てる。

「Big C」で買ったトラベル用ミニコンディショナー。値段が一番安くて、たぶんあかん感じがするけど、意外に良かったらいいなあと思って買った。パパイヤ成分入り?


2013年5月19日日曜日

炭という名の

タイに来て初めておなかを壊す。
何が悪かったのか心あたりがあり過ぎてわからない。
全然おなか痛くないけど便がずっと水。
休みの日で良かった。バスの中でお腹痛くなったら大変。
DBに「カーボンを飲め」と言われ、
カーボン?炭?と考えていたら本当に炭みたいな真っ黒な色の錠剤を渡された。
名前も「デルタカーボン」。
オセロのコマみたい。
2錠飲むらしいけど、効き過ぎて便秘になったら困るので1錠にしておく。


夕方、トイレに行きたくならないか不安になりながらも
ラオス行きのバスチケットを買いにモーチットにあるバスターミナルへ行く。
ビザの切り替えの為に火曜日の夜からラオスへ行く。
チケットを買う人、バスを待つ旅行者で人がいっぱい。
バス会社もいっぱいある。
ラオスのビエンチャンへの直行便ではなくてタイ東北部のノンカーイ行きのチケットを買う。ノーンカイ行きでVIPバスがあるのは一社だけだったので迷う暇もなかった。
買い終わって帰る頃、ちょうど18時で国歌が流れ始めた。
座っていた人は立ちあがり、歩いていた人は立ち止まる。
国歌が終わるまでみんなピタっと止まっている。
タイでは駅や公園などの公共の場で朝の8時と夕方の18時に国歌が流れて、みんな立ち止まらなければならない。
この風景を見るとちょっと感動する。
 

おなかもぴたりと止まった。

2013年5月18日土曜日

バスで

学校に行くとき、バスに無視される。
バスが同時に二台バス停にとまるとき、一台のバスが第二車線に停まることがある。
この日、三台同時に停まって乗りたいバスにアピールができず、乗客がいないとみなされ、スルーされてしまった。
バスに乗る時はサバイバル。気合い入れないと怪我する。
乗るときも降りるときも、まだバスに乗り(降り)きってないのに発車することもしばしば。急ブレーキはしょっちゅう。
タイのバスは先に行き先を言って、チケットを切る人(だいたいおばちゃん)にお金を払う。言い慣れてない場所だと発音が間違っていてなかなか伝わらない。
このチケットを切るおばちゃんが、ものすごく無愛想か、ものすごく親切な人に分かれる。親切な人だと空いている席を教えてくれたり、次があなたの降りる場所だよと教えてくれる。

バスでタイ人の優しさを感じることも多い。
初めて乗るバスは外の景色を見ていないと、どこで降りるのかわからなくてキョロキョロしていたらおばちゃんが「どこ行くの?」と話しかけてくれたことがある。
あと席のゆずりあい。
お坊さん、妊婦、障害者、お年寄り、子どもがいたらサッと絶対にゆずる。
男の人が女の人にゆずるのも見かける。
私も妊娠してないし、まだわりと若い方なのにおじさんにゆずられたことがある。
目上の人や親を大事にすることがしっかり根付いている国だから
誰を今、尊重するべきかサっと当たり前のようにできるのかも。
ただ、電車の中で大人が小学生(もう10歳くらい)に席をゆずって、
小学生がゲームをしながら席に座っているのはなんだかなと思った。
太っていて、更にふてぶてしかった。


2013年5月16日木曜日

コンドミニアム

初めて自分と同じ歳くらいのタイに来ている日本人の人に出会う。
普段は別の時間帯の授業を受けている人で、たまたま今日同じ授業を受けることになり知り合った。
しかも美人。
きれいな人と話すと緊張するし基本的に人見知りなので最初はどきまぎ。
でも同じ大阪出身で関西弁が聞けて嬉しいと言われ、親近感がわく。
授業が終わって話したりないのでコンドミニアムまでお邪魔することに。
YKKさんは駐在妻で、旦那さんの会社が用意してくれるコンドミニアムに住んでいる。
駐在の日本人が住んでいるところは豪華だ、となんとなく聞いていたけど笑えるくらいハイソだった。コンドミニアムがあるエリアもタイの青山といわれているらしい。
もうね、ホテル。
ロビーに入る手前にガードマンがいて、入口にドアマンがいて、キレイなタイ人の受付嬢がいて、さらにエレベーターのボタンを押してくれる人がいる。
普通なら喜びそうなところをYKKさんは「これが本当に嫌だ」と言っていて、YKさんと同じく贅沢なことに甘え過ぎていなかった。

ミーティングルームというのがあって、日本の新聞や雑誌が読めたり、コーヒーとお菓子がタダで食べられる。
せっかくなので甘える。これも経験。
タイに来てる日本人ってなんというか濃ゆい人が多くて、なかなか日本人の友達が出来ずにいた。同じ感覚で話せる人がいるって大事。今度たこ焼きを作ろうと約束して別れる。

その後、Taeの家で仕事の打ち上げもかねてバーベキューと鍋。
洞窟事件からなんとなく彼らに会うのが億劫になっていたけれど、タイ人の特に男の人は嫌なことなどはすぐ忘れるらしく、全然普通だった。
生牡蠣をすすめられ、少し不安になりながらも食べる。(貝系で特に生はお腹壊さないか心配になる)
生牡蠣にニンニクチップとチリペーストをつけて食べたら激ウマ。
エビを炭で焼いてタイのソースで食べる。日本ではなかなか食べられない大きさ。

日本語を話せるJuというタイ人の女の子も来ていた。8年勉強していて、日本にも留学したことがあるという。TシャツもBerryz工房と書かれたTシャツを着ていた。気の使い方も日本人に近く、すごく親切にしてくれた。話していると日本が好きなんだなあと感じた。
Tae達が私にスラングを教えはじめてJuが慌てていた。
タイ語ってちょっと発音が違うだけでスラングになるから危険。

子ネコが新しくTaeの家にいた。飼い犬のカーオが目に傷を負った子ネコを口にくわえて連れてきたらしい。今ではすっかり良くなって元気。本当にかわいい。
今週は出会いがある週。


2013年5月15日水曜日

農耕祭

月曜日は農耕祭「プートモンコン」でした。
農家が殺到してると聞いて、またテレビで鑑賞。全チャンネルが儀式の生中継。場所は王宮前広場(サナーム・ルアン)。 この儀式も王様ではなく、ワチラロンコーン王子によって行われていた。
7種類の食べ物(水、酒、ゴマ、豆、米、とうもろこし、草)を牛が何を選ぶかによって、今年どの食べ物が王宮前広場(サナーム・ルアン)になるか占う儀式。
牛は2匹いて、白いキレイな牛。
タイの仏教では牛が聖なる動物とされていて、人によっては牛肉を食べない。
 テレビで見ただけじゃ何を食べたかわからず、後でニュースを調べると今年は米を食べたそう。牛が食べるものは偏ったりしないのか気になる。酒よりとうもろこしや米の方が牛は好きそう。
儀式が終わったら観客が一斉に走り出し、儀式でまかれた種を拾いに行く姿が一番面白かった。福男を思い出した。お金が貯まると言われていて、それぞれすごい勢いで袋にいれていた。
それから学校に行って、授業が終わった後、クラスメイトの日本人YKさんとお茶をする。先入観は持ってはいけないと思いつつ、駐在員の奥さんってセレブな奥様の雰囲気があってなんとなく話しづらかった。 
YKさんは普通の奥さんとちょっと変わっていて一緒に話していて楽しかった。YKさんは妊娠していて、初出産だけどタイで産むという。8ヶ月目に入るのに語学学校に行き始めるというのもすごくパワフルだと思った。旦那さんも厳しい人らしく、優雅なランチをすることも許されてない。
台湾に留学していた経験があって体験談を聞いたり、留学ならではのちょっとした悩みを聞いてもらったりもした。自分に喝をいれる。

2013年5月13日月曜日

スケジュール帳

私はスケジュール帳が必要な人間で、しかも紙媒体じゃないとだめ。
せっかくやし、タイの休日仕様で欲しかったのでタイのスケジュール帳を買おうと思っていたらどこにも売ってない。ロフトにも文房具屋にも本屋にもない。
この際、カレンダーでもいいやってなったけどカレンダーすら売ってない。
そういえばタイ人がスケジュール帳書いてる姿なんてみたことない。
よく考えたらきっちり予定を組む性格じゃないからスケジュール帳の需要がないのでは。
約束事も予定が変わることが多い。
大きいデパートで一応スケジュール帳は見つけたけど、
日本か欧米の輸入品のみで高いし、種類が少ない。
いつの時期もいろんな種類のスケジュール帳が売ってる日本はスケジュール帳好き?

やっと見つけたのがこれ。
カレンダーはお店や家など色んなところで見かけるけどだいたい王様のカレンダーか銀行でもらえるものしかみないし、一月頃しか売っていないみたい。

2013年5月12日日曜日

ワクチン

もう2ヶ月もたってしまったけど今さら予防接種に行く。
通っている語学学校のビルの隣にあるしいつでも行けると思っていたらこんなことに。
本当のところ外国やし注射やし何本も打つしで、
行くのがおっくうになっていたのが一番の理由。
でも再来週にはビザを取りにラオスに行くし、いい加減注射せなと思い、
サオヴァバ女王記念研究所にある赤十字系の病院に行く。
世界旅行するバックパッカーもよく来るところ。

まず受付で診療カードをつくる。
次にお医者さんとの問診。
どこの国に行くとか、妊娠してませんか?とかいくつかの質問の後、
お医者さんが打った方が良いワクチンを勧めてくれる。基本的に自分で選べる。
腸チフスと日本脳炎をすすめられ、
あと日本の厚生労働省がおすすめするA型肝炎、破傷風とジフテリアのミックスを打つ。
狂犬病はこわい犬に遭遇する確立高いし迷ったものの結局やめた。
7日後、14日後と決まった日に打たなければならないし、
最悪咬まれてからも一応治療できるし,,,
たぶんいっぺんに4つはよくないのか、A型肝炎はまた今度と言われる。
なので全部で3つ。
問診が終わって、精算所みたいなところに行ってワクチンを買う。
日本の半額以下の値段。


お医者さんがいる部屋に戻って、おばちゃんに打ってもらう。
白衣じゃなくてチェックのシャツを着てるけどたぶん看護士さん。
すごくびびってたけど、おばちゃんが鮮やかな手さばきであっという間に終わった。
しかも全然痛くなかった。
痛くなかったです、ありがとうと言って学校へ。
次は一ヶ月後にまた来る。
裏に毒蛇研究所もあるのでそっちにも行ってみよう。

2013年5月11日土曜日

お葬式

学校の後、Jaaと一緒にお葬式へ行く。
DBママの叔父さんのお葬式。
DBママが腰が痛くて行けないので代わりに同行することに。
フォーマルな服なんて持って来てないのでどうしよう?と聞くと黒のTシャツとジーパンで良いと言われ、すごくカジュアルな格好で行く。
金曜日の夜で渋滞。
車の中でタイのお葬式について聞く。
知らない人のお葬式に行ってもいいのかと思っていたので、誰でも行っていいのかと聞くと、妊婦と厄年の人は行ってはいけないそう。
妊婦はお腹の子にとって良くないし、厄年の人は悪いものを葬儀場からつれてきてしまうからだそうだ。思っていたのと違う答えが返ってきたので驚く。
タイのお葬式は長い間行われる。人によって違うけど3、5、7日間と奇数の日数で今回は7日間。偉い人やお金持ちの人だと50〜100日間するという。
なので遺体は漢方や薬品を使って家やお寺で保管する。
近しい人だと二回は行かないといけないらしく、この日は二回目。

二時間くらいして到着。スワンナプーム空港の近く。
お寺に葬儀場があって、そこを借りて行われている。
黒のポロシャツなど、結構カジュアルな人も多くてほっとする。派手でなかったら白でもいいそう。

まず親族に挨拶して、仏様の祭壇に挨拶する。
次に、親族の方から線香を一本もらって立て、故人に挨拶する。
タイの参り方は手を合わせて、頭を床につけるのを三回繰り返す。
この参り方は毎日の祭壇への祈りやお寺に行った時なども同じ。 
一回目はブッダ、二回目はブッダの教え、三回目はお坊さんへ祈っているという。
終わったら座ってお坊さんが来るのを待つ。Jaaが香典を親戚の人に渡していた。
するとファンシーな水色の箱に入ったお菓子と水をもらい、食べて食べてと勧められる。タイの伝統的なお菓子とかではなくてロールケーキとマフィン。
会場は親戚や知り合い同士で笑顔でおしゃべりしてる人が多かった。
献花もいいともの花みたいに色とりどりで鮮やか。お葬式なのに明るい雰囲気。
死をきっかけに久しぶりにあった親戚や友人が楽しくしているのっていいお葬式だなと思う。
 

しばらくして4人のお坊さんが来て、手には儀式的なうちわみたいなのを持って、お経を唱え始める。参列者は手をあわせて聞き、最後に一緒に唱えて終わる。
家族がお坊さんの目の前に行き、儀式みたいなのもしていた。
次の日、お寺にある火葬場で燃やされ、遺骨はお寺に預けるか山や川に散骨する。
タイにはお葬式が終わったら遺骨には未練がなく、墓石もない。
ブッダが弟子に、もしブッダが死んだら遺骨はどうしたらいいですか、と聞いた時に
「そんなことより真理を追求せよ」と言ったことが関係しているという。

家へ帰ると葉っぱで水をすくって頭にかけられた。
これも儀式で、お葬式から帰った後はタプティムという葉を使って身を清める。
たぶん塩と同じ意味合い。
お菓子とタプティムの葉。


日本の葬式と比べてどうかなと考えようと思ったら、全然日本の葬式の知識がなかった。
あとで調べると、日本は葬式の時だけ仏教を意識している葬式仏教と揶揄されたり、
葬式の費用が世界第一位で平均で200万円以上かかる。
他の国で高くても40万円くらい。異常だと思う。
お金をかけてお葬式をしてあげることが幸せだと思う考えもあるけど、
お金をかけなくてもできる良い葬式の方法を考えたいと思った。




2013年5月10日金曜日

タイテクノロジー

語学学校の日本人生徒同士でお食事会、ビザが取れる学校の見学、
DBの師匠を弔うお食事会、ビザの書類を学校に提出、
などで5月のあたまはバタバタ。
ごはん、ビザ、ごはん、ビザ。

学校が終わって夕方にすごくお腹が減る。
タイのラーメンとかごはんものの一人前の量が日本の7割くらいの量。
なのでタイの人は果物や焼き鳥をプラスで食べたり、
ラーメン2杯食べたり、一日4食とか食べたりする。
間食も多い。
だからタイラーメン一杯でお昼すますとすぐお腹減る。
家に帰るまでにコーヒーやおやつを買うとタイ人の知恵に出会った。
これをタイテクノロジーと呼んでいる。
アナログの技術なんやけどしっかりした技術。

飲み物用手提げ。
袋になっていなくて最初、落ちないか不安やったけど
じょうぶでバランスも取れるのでこぼれない。


アイスクリームの受け皿。
暑いのですぐにアイスが溶けるタイ。
溶けても受け皿があるので手がべたべたにならない。



家の近所でも発見。
泥棒よけのガラスの破片。
格子鉄線より見た目に迫力があって泥棒する気も失せるかも。

2013年5月8日水曜日

ワンモア学校

7日からもう一つ語学学校に行き始める。
今まで行っていた学校はとにかく会話を聞くスタイルなので、発音とかは後回し。
会話を聞きまくるのでオートマティックに言葉が出てくるのが良いところだけど、
音痴のせいか耳から入った音が口から出ない。
基本の発音とか声調など基礎を早く学びたいのと、
留学ビザを取らなければいけないのとでもう一つの学校をメインに行くことにした。

一日目は母音の発音と声調。
タイ語は5つの声調がある。
日本語はモノトーンなので、この声調が音痴の私にとってネック。
でも基本中の基本なのでしっかりやる。
母音も9コもあるし、ウとエの間みたいなのもあってややこしい。
でも大きく声を出して楽しかった。

学校の後は「SIAM Discovery」というショッピングセンターへ。
5階にある建築のギャラリーでドイツ文化センター主催の
ドイツの建築家で、写真家でもあるGerrit Engelの写真展のオープニングに行く。
DBとTaeたちががセッティングした展示。
夜10時から朝6時までセッティングしていたので今回は手伝えなかった。
デパートなどで展示がある時はデパートが閉まってからじゃないとセッティングできないのが普通だそう。昼夜逆転でしんどそうだった。
写真の内容はドイツの建築の1920年代から現代までの移り変わり。
写真を見ていると日本を思い出すような風景がある。
色使いやデザインの趣向が共通している部分があるのかも。
性格似てるってよく言うし。
建物だけじゃなく、道路や標識からも感じる。
空の色が白っぽくなるように撮ってて、全体的に地味な雰囲気なんだけど
建物が映えるようにしていて美しかった。
    

2013年5月7日火曜日

ホールセール

連休最終日、ホールセールをやっている「makro」へ行く。
日本でいうとコストコみたいな感じだと思う。
会費を払って会員になると卸しの値段で買えるスーパーマーケット。
ホールセールってタイに来るまで馴染みのない単語だったけど、タイではよく見る単語。いろんな場所で卸し売りをしている。

食品だけじゃなくて電化製品や工具なども売っていて、
屋台でつかわれているテーブルやイスなどもあった。
勉強用のテーブルが欲しくて行ったけど、良いのが見つからず
結局、水や洗剤、ブッダのお供え物のお菓子などを買う。
卸しなので3つセットとかダース買いをしなくてはいけない。
でも水がかなり安く買えたのは助かった。
大きいカートを押していると外国感が増す。
空間も物もでかくて、物がいっぱいあるというのも迫力があって、ずっとわくわくしていた。

2013年5月6日月曜日

王様

日本はゴールデンウィークが終わった頃、
タイも3連休で、5日は王様の戴冠記念日。
今のプミポン王様は今までで一番長く即位されていて、国民みんなから愛されている。
日本にも天皇陛下がいるけど、国民ひとりひとりの王様への思いが全然違う。
絶対的な、尊敬するものがあるっていいなあと思う。
国の力強さを感じる。
王宮前で儀式があり、たくさんの人が王様の誕生日の色、黄色の服を着て
「王様長生きしてください」と一斉に声をかけるという。
ファンクラブみたいな風景を想像し、ぜひその風景を見たいと思う。
しかし朝ギリギリに起きるも、大雨と昨夜のペンキの筋肉痛で外出を断念。
夜のテレビのニュースでちょっと見るだけの地味なことになってしまった。
王様は体調がすぐれなくて病院にいるので、
儀式も代わりに息子の王子がやっているようだった。
王様が入院している病院へ多くの人が花やプレゼントを持ってきている様子も流れていた。地方の人や山岳民族など遠いところからもたくさん来ていた。

ニュースを見終わって中途半端な時間にお腹がすき、外へ出ると
たまたまDBのお姉さんNattyと会い、
「TOOK LAE DEE」というファミレスみたいなところへ連れて行ってもらう。
タイの焼きそば、パッタイ。
ライムと粉唐辛子をかけて、ちょっと辛すっぱくするのがおいしい。
日本で食べてるときはただ甘いものだと思っていた。

2013年5月5日日曜日

真夜中

DBの後輩が仕事をドタキャンしたため急遽手伝うことに。
一ヶ月前にセッティングした展示が終わったので、その片づけ。
この日はスタジオの中を展示の為に壁を白からグレーに塗ったので、
それを白色に塗り直す作業。

ちょっとわくわくしてたら甘かった。
自分を含めて5人でやるという。結構な広さなので不安になる。
壁とは別にパーテーションも塗り直さなければならなかったので、それを担当する。
ローラーを使ってひたすら塗る。乾いたら二度塗り。
だいたい上を向いて塗っていたので首が痛い。
終わったのは夜中の2時。約12時間。
元々あと何人呼んでいて、なんで来なかったのか聞いたら6人呼んでて急用とマイサバイ(病気、気分が悪い)。
6人全員?とちょっと疑う。

とにかく無事終わって良かった。
そしてお腹が減る。
家の近くの夜中の1時から朝7時まで営業しているカオマンガイ(鶏の炊き込みごはん)屋さんへ。
ミッドナイトカオマンガイ。
もう3時はまわろうとしているのにお客さんいっぱい。
近所にセクシーマッサージの店が多いせいか、お客さんにセクシーなお姉ちゃんがいっぱい。夜遊びが終わった学生や酔っぱらいも。

おばちゃんが鮮やかにゆで鶏や焼き鶏をさばいていく。
味は普通においしい。
夜中にこの雰囲気で食べるのがさらにおいしくしてる気がする。

2013年5月3日金曜日

アクシデント

乗っていたバスが事故った。
事故したといってもバス同士でゆるーく当たった程度。
1日はメーデーで休日だったので渋滞もなく、
いつもより早く帰れると思っていた矢先だった。

座席でうつらうつらしていたら、
バスの切符を切るおばちゃんの「何してんねん」みたいな声が聞こえて、
バスの右側の車体が相手のバスの左側の車体とぶつかった。
どうするんやろと思ってたら
乗客を降ろし、同じ番号の別のバスが来て、
それに乗るよう案内され、すんなり帰った。
手慣れた感じやったから、しょっちゅうあるんやろうなあ。

バンコクは本当に事故が多い。
事故率は日本の二倍くらいらしい。
確かに週一くらいの確率で事故を見る。
あんまりスピードは出てないけど、
あ、ぶつかっちゃった、みたいなのが多い。
原因のひとつは運転免許が簡単に取れてしまうことだと思う。
運転免許証は10時間くらい練習すれば取れるという。
料金も一万円くらい。これはちょっとうらやましい気も。
語学学校の先生は20年くらい前に700バーツ(約2000円)で買ったと言っていた。
日本ほど厳しくルールもないんじゃないかと思う。歩行者優先とか。
もうちょっと運転マナーがあったら渋滞もマシになると思うんやけど。


2013年5月2日木曜日

ワンラン市場

家の近くのボートの駅から一駅のワンラン市場へ行く。
ここは約2年半前、高嶺さんのパフォーマンスの時に滞在していた場所。
パトラバディシアターという劇場があり、
そこでタイ人と日本人で「Melody♡Cup」を上演した。
劇場に宿が併設してあり、そこで寝泊まりしていた。
なので、この市場はごはんを食べたり、買い物したりした思い出の場所。
稽古が終わって、0時でお酒が買えなくなるから
急いでコンビニまで買いに行ったりしてた。

2年半もたつとちょこちょこ風景も変わっていた。
SWENSENS(チェーン店のアイスクリーム屋)ができたり、
日本料理屋ができたりとちょっと近代化した感じ。
お気に入りのドーナッツ屋台も見かけない。素朴な味で美味しかった。
そして話には聞いていたけど、劇場が移転していた。
建物自体はあるけど、ほとんどの物は引越しした様子。
ガネーシャが祀られていた祭壇もない。
ぐるっとひとまわりして、ブログの背景にもしている木の下で休憩。
 

のどが乾いたので劇場の前にいつもいる、
元軍人のおじいちゃんのコーヒー屋台で買おうと思ったらいなかった。
見覚えのある風景となくなった風景で
懐かしいのと寂しい気分、半分半分になりながら木の下でロティを食べる。

その後、あんなに滞在していたのに行ってなかった
劇場の裏にあるワット・ラカンへ。
ラカンは鐘という意味で、大きな釣り鐘があった。
本堂の外側は改修工事をしていたけど、中でお坊さんが話をしていて
話はわからんけど、なんとなくボーっと声を聞いてしまう。

改修の為の屋根のタンブンをする。
屋根の裏にみんな何か書いていたので、とりあえず名前を書いた。


100バーツのTシャツとオレンジジュースを買って帰る。
歩いて帰れるかと思って挑戦したら一時間以上かかってヘトヘトになる。